東日本ではまだまだ大きな余震が起きています。
一時に比べ震災の報道も徐々に減り、
直接関係の無い地域では、平常の生活を取り戻しつつあるのかもしれません・・・・。
私のブログもこの一ヶ月ほとんど更新されることがありませんでした。
別に手を抜いていたのではないのですが、
このような状況で何かを発信するということのプレッシャーに負けていたようにも思います。
また、特にこの震災では、多くの人が、色々なことを考え、受け止めているということを実感しました。
もちろん「日本一山岳ガイドらしくないブログ」大賞を頂いている私としては、
いくら無責任な発言をしたところで、炎上や、非難の嵐とは無縁ではありますが、
できればこれからも、感じたことを綴っていきたいと思います。
家を失い、大切な人を失い、失意に打ちひしがれている方々が尚も前を見続ける姿、
見えない恐怖と戦いながら、まともな休息もとれず、原発に向う姿、
我々の心に強く刻まれたその姿は、人間として眩しいくらいに輝いて見えます。
しかし、我々がどんなに心を痛めたところで、決してその人たちの力になれるか否かは、
非常に難しいことのように思われます。
震災以来、我々は悲惨な状況を映像で見てきたわけですが、
その被災者の悲しみを理解することは想像に難くありません。
そんな中で、我々は、その悲しみに共感し、何か出来ることはないかと考え、
支援物資、義援金をわずかではあますが(もちろん多大な援助をした人も)寄付できたと思います。
とはいえ、画面からみているだけでは、本当の被災者の気持ちには近づけない。
何かしてあげたいのだけれど、本当に必要なことは何なのか?
そんな疑問を持ちつつ日常生活に戻ったとしても、
きっと心のどこかにわだかまりを感じながらでは、
我々自身も平穏な日常生活を送ることができないのではないか?
だったら少しでも、被災者の気持ちに近づけば、その思いも少しは救われるかもしれない、
と考え、4月9日から11日の3日間で現地を訪れてみました。
その時の模様を少し報告したいと思います。
4月8日
Kスポーツの仕事をおえてから、いざ福島は相馬市に向けて出発。
なぜ相馬市にしたかというと、ほかの地域が、のきなみ市内在住者のボランティアの募集に対して、
相馬市には県外からのボランティアの受け入れがあったからです。
また、長野からは比較的近いこと、後は原発に近かったことも理由の一つでした。
深夜の東北自動車道のサービスエリアは、
被災地に向かう支援物資のトラックと、ボランティアの車であふれていました。
そして早朝相馬市に到着。
4月9日
市内にはいっても多少壁や、屋根が壊れている家屋が見られましたが、
海際に行くまで、津波の形跡が見られなかったので、
そんなに津波の被害のあったところは少なかったのではないかと思ってしまいましたが、
国道6号線を越えて、海に近付くと、
津波があったことを知らなければ、ここでいったい何があったのかと
まったく想像ができないくらいすべてのものが入り乱れた、瓦礫であふれた世界が広がっていました。
そして、この日は相馬市内にあるボランティアセンターに行き
ボランティアの受付を行いました。
まずは登録を行い、ボランティア保険などの手続きを行います。
ここでボランティア希望の方は、無料で保険をかけてもらえますが、
せっかくボランティアに行くのであれば、地元の社会福祉協議会で簡単に加入できるので、
そちらで入っておいた方が地元の負担が少なくていいいかもしれません(我々はそうしました)。
登録を行った後は、もう一度名前と車の有無を聞かれ、メモ用紙にその旨を書いてもらい、
それぞれ作業内容&人数が書かれた指示書へ、
自分が出来そうな指示書のところへ、そのメモ用紙を貼りエントリーします。
長くなてって来たので、続きは次回で・・・・・・・・・。
11日の作業現場模様
お疲れ様です。
私はたった三日間でしたが、非常に疲れました。
そのことを思うと、連日捜索&復旧活動に当たる自衛隊皆さんの
苦労がいかほどのものか・・・・・・。
ご苦労様ですm(_ _)m。
投稿情報: やまこぼ | 2011年4 月14日 (木) 11:38
お疲れ様でした。
わしはまだ活動中だが、また週末行ったん帰ります。
投稿情報: 軍曹 | 2011年4 月13日 (水) 14:22