実は私、
ネットやテレビのニュースなどで凡そ社会の動きが解るので、
新聞を取っていないのですが、
パラパラ見ているとたまに、「おおっ?」と思わせることが書いてあり、
最近は表面だけじゃなく、その本質を見るという点で活字の重要性を感じております。
さて、なにが言いたいかというと、
昨日の信濃毎日新聞(いつもKスポーツの事務所にあるやつ)なのですが、
「風土と哲学」という哲学者:内山節さんのコラムの中に、「貧乏人」という文字が見えたので、
哲学には全く興味がない私ですがついつい読んでしまいました
(この言葉につい反応してしまう悲しい性・・・・)。
話としては、本来お金持ちからのお金で機能していたしていた資本主義が、
金融機関や格付け会社などが複雑な仕組みをつくり、
貧乏人のお金もそのシステムを動かすために使われようと機能し始めたということ
(いわゆる今話題のサブプライムローンのことなのですが)、
市場経済は、我々の生活すべての物を商品化し、
自然をもいかに価値のある商品として見出しているか、ということを書いてありました。
資本主義経済の仕組み的なことはさておき、
内山さんがまとめで書いてあったことは、実は私も最近うすうす感じていたことだったりして、
そう思っていたのは自分の頭が悪いからだった訳ではなさそうなので、少し安心しました。
というのは、最近社会全体が複雑になりすぎてしまって、
いつか人間の理解を越えてしまうのではないかということ。
パソコンやらネットやら、技術的なことはもちろん(すでに私はついていけてません・・・涙)、
社会のシステムがそもそも、人間の理解を越えてきているのではないでしょうか?
ただそれは、私の理解する努力が足りないからなのかもしれませんが、
新しい複雑なシステムができたからといって、
それを素直に受け入れて順応していていく事にも、人間の限界があるように思えて仕方ありません。
そもそも生活の根源にあるものは、人間の素直な感情によって生まれてくるものだと内山さんも言っています(ちょっと違うか?)。
確かに、理屈で構築されたシステムは素晴しいとは解ってはいるものの、
自分の立場に置き換えた場合、感情的にはなかなか理解しがたいことはよくあることだと思います。
そして人間の幸せは、決してお金や商品ではないことを我々は知っています。
しかしそこに価値を見出すのが今の社会といえるでしょう。
悲しいかな、物質的な欲求は(悪い言い方をすればですが)麻薬みたいなもので、限りがあり
ません。
コラムの中で内山さんは、
「私たちの生きる世界のつくり方に、根本的に欠陥があるということにはならないだろう
か。」と疑問を投げかけています。
そもそも人間のエネルギーというのは「好き」とか、「嫌い」とかそんな人間的な感情なのではないでしょうか?
そして、本当の幸せというのは自分の周りの人や物を大切にすることの中から生まれてくる気がします。
これから益々に複雑になる社会の中で、私はそれを大事にしたいのですが・・・・。